昭和40年04月04日 朝の御理解



 腹が決まればおかげになると。本当のことがです、私共がです、どちらをとるのが本当かといったような時にはです、やっぱり迷うもんである。ね、そこを私は、御理解を頂いて本当のことの方へいわば腹が定まる、腹が決まる。一心に定またったところからいわゆる十二分に受けられる徳という。これは本当に、そういう場合じゃないでしょかね、不思議なおかげっていうのは、不思議というてはならんのだけれども、こっちのそういう腹ができた時に、おかげが受けられるとこう。
 いよいよ、2・3日後に控えておるところの御大祭。私は福岡から、帰らせて頂いて、家内はこちらに帰って、子供連れて帰っておった。あの遅配欠配の激しい時ですから、あちらの方から配給になるメリケン粉のようなものを持ってきてもらわなければ悪いとこういう。だから私は、工面してからメリケン粉を一表持って、それを持ってかえってきよった。福岡の電車の停留所のところで、あのこう切符をかってならなんでおるところがありますね。そこで、その電車を待たしておるときにです,私は考えた。
 御大祭の御準備に帰らせて頂いておるけれども、その祭典費は祭典費、お供えはお供えと、できておったのに、祭典費はおくりあわせを頂いて、お供えさせて頂いておったけれど、今度の御大祭にはなぁにもお供えさせて頂く物が無い、あいすまんことじゃあるなぁと私が思うた。思うたら、足元においてあるその一表のメリケン粉に神様が指さして、そこにあるじゃないかと言わんばかりに教えて下さる。
 今頃のメリケン粉一表とか問題ではないのですけれども、その時分の私共のメリケン粉一表と言う事は、大した事だったその時にです、いわいる腹が決まった。はぁ本にそう。今度の大祭にはお供えが無いと思うとったが、ここにあるじゃないかと言れてみりゃ、足元にあるとじゃん。いいえ神様これはあぁた家内子供が、為に持って帰りよるとで御座いますとあんとき、私が思うておったらおかげを受けられなかったと思う。
 本にそうだと私が思うた。はぁここにあったと思うた。そして、私がお願いさせて頂いた。どうぞ神様、日頃御教えを頂いております、ね、神様がお生かし下さっておるんだと、神様のおかげを頂かなければたちゆかないのだと。私には2・3日後にひかえておる、御大祭が大事である。どうぞ、家内子供のことは神様、あなたによろしくお願いいたしますというわけなんだ。
 腹が決まったそしたらです、神様がいわゆるお試しというのでしょう、そう思うたら非常に感激した私は。ね。家内子供の為に持って帰っておるこのメリケン粉をです、神様がここにお供えがあるじゃないかと頂いた時に、腹が決まって家内子供のことはどうぞよろしゅうお願い致しますと。私は私のさせて頂く本当の事をさせて頂く。これは(  ?  )にさせて頂きますと思うたら、感激のおかげを頂いて感激させて頂いておる私、その神眼にですはっきり頂きますのが、雌鳥あのニワトリです。ね。
 雌鶏がです片一方の足をこう上げて、首をこのへんに突っ込んでですね、何か本当に思案しておるという感じである。そして、ここに何匹かのヒヨコが、なにか力の無いようにバタバタと倒れていくところを頂いた。私はそれをすぐ、すぐ私の心の中でその御理解を感じとることができた。こげなん思い切ったことを、ならお前、家内やら子供やら、こげなふうな状態になってから、バタバタ倒れていってもよいかと。ね。
 がつれしてもよりかと。家内はそれこそ、もう今日はくるじゃろう、今日はくるじゃろうと、思案投げ首して待っておるぞと。それでもよいかと。神様念を押してくださったような気がしたときにです、私の心の中に先ほど申しましたようにように日頃頂いておる神様は私どもをお生かし下さっておるということ。神様のおかげを頂かなければできないということ。家族も大事だけれどもお広前のことはもっと大事だということ。
 しかも、年に一回の何々の大祭というのに、もっと大事である。その大祭にお供えも出来んと思うておったのが、只今お気付けを頂いて、はあ、ここにあったと心が決まった。ね、決まったことで御座いますから、どうぞ家内が思案しておりましょうが。子供達が倒れて参りましょうが、さあそれから先は、もうあなたにお任せしますという気持ちでそれを、お供えする腹を又神様に申し上げたら又心眼にです。
 もう広い広い湖なんです、そこにですね、水鳥が小さい、いわばひよこの水鳥でしょう。が沢山この餌を求めてこういきよる様なとこである。ところが餌がないもんだから、もう広い湖にあちらに一羽、こちらに一羽こうばらばらに泳いでいくところを頂いた。そしたらです、いわゆるずうっとはるか向こうの方からです、もうそれはもう十倍くらいある様な大きな水鳥がですね、口に何か餌の様なものを加えて、もう矢を射るように走って来るとこを頂いたんです。
 昼前のいわば鶏のお知らせは、それはどういう事だったでしょう、それはお試しだったという事が分かるでしょう。私どもの腹が決まった、ね、私は医者にかかれとか、かかるなとかいうのじゃないですけれどもです、医者じゃない薬じゃない、よしこれががんであっても腹を決めた、一心と。神様のおかげで助けて頂こうと、助けて頂かんなら死んでもよいといメリケン粉でしたねあの時分にご承知の通り。
 それをその時の御大祭のお供えとさせて頂いて、それから御大祭を終わらせてもろうてから、翌日のお掃除がすんで、そのという腹にならせて頂いたらです、神様がプットまたお試し下さる様な事があるのです。ほんとお前そう言いよりうるけれども是でいいのか、はあ神様そういやそうですねと。そん時ぐらついたらおしまいです。ね、そしてあなたのおかげを頂かなければ立ちゆくことじゃないと言う腹が決まったときです。
 もう神様はおかげの準備をして、それこそ矢を射るような勢いでその散らばっていく小鳥の小さい子供たち、子供の水鳥の後を追いかけておられるということ。私はそのそれこそ真っ黒いメリケン粉でしたね。あの時分は皆さんもご承知のとおり、それをそのときの御大祭のお供えとさせて頂いて、それから御大祭を終わらせてもろうてから翌日のお掃除がすんでその夕方うちに帰らせて頂いた。福岡の方に。帰らせて頂きましたら、私の家の前に、自転車が一台止まっておる。後ろにメリケン粉がいっぱいのっておる。
 当時私が闇の繊維をいたしておりましたから、あるシナの方シナ人が大きい商売をしておる。その方のために私がある、お世話をさせて頂いておったことがあったんです。それで、私のところへそのお礼にね、メリケン粉一表もって来たことがある。しかも私がお供えしたのは、皆さんがご承知の通り、配給の真っ黒いメリケン粉だけれども、シナの方達が、あの配給をうけよるのは、それこそアメリカのメリケン粉でですね、もうそれこそもう綺麗なメリケン粉だったんです。
 そん時のおかげはそれだけなんですけれどもね、問題はそれだけじゃない。その時にいわば十二分の徳を受けられるときであったということです。これはただそういうおかげを見せて、形の上に見せて下さったおかげは、ただ黒いメリケン粉から綺麗なメリケン粉になっただけのようなことだけれども、問題はそんなことじゃない。私達の場合です、ああいう時分、ああいう時代に私がもし力を受けておるとするならば、あの時に力を受けておったんだろうと、こう思うんです。ね。
 椛目のことを考えたり、自分のことを考えたりしよったら混乱して、一生懸命神のことも思うとる、けれど自分のことも一生懸命思いよる。そこに、心がいわば、交錯してです心が乱れる。安定がつかない。おかげがちぐはぐになる。腹が決まった。自分のことはもう、ほっておいてから、いわば椛目のことだけを一生懸命、お広前のことだけを一生懸命、これ一本で腹が決まった。
 決まったとたんにおかげを頂いた。商売の上にもそしてです、椛目の御造営なら、椛目の御造営が出来た時には、自分の家の御造営も出来ておったと言う様なおかげになってこなければならん。ならその御造営が出来たという事だけじゃない。その時に力を受けたときであるという事なんです。信心させて頂いておりますとです、誰だって一生懸命やっぱ思うけれどもね、それをちょっと試されると、ちょっとこうぐらつく。
 はぁひょっとしてガンじゃなかろうかと。こうひょっとしてあんたガンかんしれんばの、っち人から言われたらもう、なら診察だけなっと受けてみろうかという事になる。腹がそういう時にです、ね、ガンであればガンである程おかげを頂かなければ出来る事じゃないという腹なんです。神様一心にすがるいう場合、信心に本気で身が入る、例えば御用なら御用に本気で、例えば御造営なら御造営のことに本気で御用させて頂くぞうと、こう決まったら、神様が本当じゃろかと思うて神様がチョット試しなさる。
 そしたらそれもそうばってんっち又よろよろする。それではおかげが受けられん。力も受けられない、ね。そこに一心と定めたら、そこにぐらつく様な事があっちゃならん、愈々そこのところを有り難く頂き抜いていかなければいけん。後ろから矢をいるような勢いで、おかげは神様が準備しておって下さるのあるから、ね。どぞひとつお繰り合わせを頂いて、なにごとによらずなんですけどね、腹を決めないかん。
 もうぐずぐず迷うとる事が一番いかん。あぁでもなかろうかこうでもなかろうかと。ね。愈々の時にはこうだと、腹を決めないかん定めなきゃ。それを教祖はままよという心と仰る。ままよとは死んでもままよのことぞとこう仰る。十二分の徳を受けようと思えば、そういう心を出さなきゃならんけれども、そういう心を出すような、機会というのは、何時もかつもあるもんじゃないという事。ね。徳を受けるチャンスと言った様な、何時もあるもんじゃないということ。
   おかげ頂きました。